ADHDと自己の断絶

 

 

 

無意識に貧乏ゆすりをしていることに気付いて時間を確認した。もう30分以上待っているのにまだ呼ばれない。この病院には予約をどう定義しているのだろうか。受付であとどれくらい待つか聞こうか悩んでいたら名前が呼ばれた。

患者を待たせることに慣れた医者はもちろん謝ることもなく診察を始めた。

「最近はどうですか」

待ち時間が長くてイライラしていますと言いたい気持ちをグッと抑えて、「変わらず生きるのがつらいです」とだけ答えた。毎度変わらない機械的な問答を繰り返して5分もなく診察は終わった。

 

 

毎月イライラしながらも私は病院に通うことをやめられない。病院は私を人間にする薬を出してくれる。薬を飲んでから前よりずっと生きやすくなり、あらゆることが円滑に進むようになった。仕事も人間関係も、20年以上冷戦を続けていた親との関係でさえ。

薬を飲み始めた時はまるで新品のPCに頭を取り替えたように余計なリソースがなくなりフリーズすることもない、頭の中の情報渋滞が解消されて脳内が静かになった、別世界だった。自分がまとめたと思えない綺麗な議事録を見て感動し、上司に褒められ涙が出た。

私はついに自分自身を支配し、敵を乗り越え大きな成長を遂げたのだ。

薬を飲み始めた頃はそう考え、万能感に酔いしれた。

 

ところで、薬を飲んだ私は人間で、薬を飲まない私はなんなんだろうか。

成長とは努力を積み上げて得られる崩れない不可逆の変化だ。薬が切れると私はたぶん人間でない何かに戻ってしまう。それを成長とは呼ばない。

私には自己の連続性がない。薬を飲んでいる人間の私、薬が切れた人間でない私、そこには明瞭な断絶があった。何も積み上がることなく成長もなく、ただ命を削って薬に依存しているちぐはぐな私がいた。


真価は薬にあり、薬なしでは人間でいられない私には一体なんの価値があるのだろうか。

 

 


また名前が呼ばれた。会計だろう。一瞬考えたが次の予約を取り、領収書と処方箋をもらい病院を出た。

転院を繰り返しながら病院に通ってもう4年になる。私はあと何年、何十年、人間でない私が一瞬だけ予約に抗い、人間もどきの私が予約を取り続けるのだろうか。私はいつになったら人間になれるのだろうか。